à l’époque de maman


先日、mon mari が仕事先で頂いたと言って、昔懐かしいべっこう飴を持って帰ってきました。
« C’est quoi ? » (何それ? “Qu’est -ce que c’est ?” のくだけた形 ) と寄って来る子ども達。
さっそく1本ずつなめ始めました。しばらくすると、小判の形をしているのを舐めていた長男が

「何か書いてあるよ。何?」と見せにきました。
「『千万両』って書いてあるね。これは昔のお金だよ。」と教えてやると、

「お母さんの時これだった?」
「・・・・」

そう、à l’époque de maman, (お母さんの時代)、 お年玉は小判でした。
って、そんなわけないでしょ!!
横で mon mari は éclater de rire (大笑い) してました。

さすがに小判ではありませんでしたが、à l’époque de maman, 500円は un billet (紙幣) でした。une pièce (硬貨) になったのは確か小学校の中学年の頃。新しいピカピカの des pièces に飛びつく ma grande sœur (姉) とは裏腹に、「将来価値が上がるかもしれないから」と言って、当時の全財産 ¥5,000 を持って la poste (郵便局) に行き、des billets propres (新券) 10枚に change (両替) してもらいました。

Bonne idée (良いアイデア) だと toute fière (誇らしげ) な娘に、「末恐ろしい」と言った mes parents (両親) の気持ちが、今になってよく分かります・・・。今も実家のどこかに、岩倉具視が10人眠っているはず。

でも、ネットで調べてみると、les billets de 500 yens (500円紙幣) は la circulation (流通) の量が多く、それほど昔でもないので、よほど rare (レア) ものの番号でもついていない限り、la valeur faciale (額面の価値) 以上はないそうです。à la banque (銀行) に持って行けば une pièce de 500 yens に交換してもらえますよ、なんていう親切な un conseil (アドヴァイス) も。

¥5,000 としてさっさと使ってしまおうか、悩ましいところです。
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