excursion


今年もやってきました、excursion (遠足) の季節です。本当は先月 10/29(火) に長男トマの l’école primaire (小学校) も次男ルカの la crèche (保育園) も excursion を予定しており、ちょうどエフィの5週目臨時休校日に当たったため、お弁当作りが楽そうだと思っていたのですが、残念ながら la pluie (雨) のため延期。
朝から雲行きは怪しかったのですが、お弁当の用意はしなくてはならず、le week-end から体調を崩していたので、残り僅かだった de l’énergie (エネルギー) を全て費やして何とか2つのお弁当を作り、トマを送り出し、ルカを la crèche に送り、ホッと一息ついた頃に l’école から延期の連絡メールを受け取った時には、そのまままた寝込んでしまいました。

 la crèche では、その日園内で「遠足ごっこ」と称して une bâche (シート) の上でお弁当を食べ、le lendemain (翌日) に la gourde (水筒) だけを持って当初の目的地の岸根公園まで une promenade (散歩) をして以上終了でしたが、l’école primaire の方は、11/6 (水) に延期となりました。l’année (去年) は気合いを入れて Halloween をテーマに déco-bento (デコ弁? ) を作り、トマにも「またハロウィン弁当がいいな〜」と言われましたが、今年は延期のためもう11月。時間も気力も体力もない今年はどうしようかと悩んだ結果、作ったのがこちら。

♫じゃじゃじゃじゃ〜ん。
と、ピアノ弁当にしてみました。
春から習い始め、毎日練習をがんばっているので、その応援のつもりです。それにしても、l’algue (海苔) って素晴らしいです。
l’omelette (卵焼き) が分厚くできたので、une tranche de jambon (ハム1枚) をはさみで une note (音符) の形に切って載せてみました。地味で分かりにくいのですが、黒豆に une cure dent (爪楊枝) を刺して des notes を作ってみたのですが、トマの la réaction (反応) は微妙でした。le cure dent は黒くしようと la veille au soir (前の晩) に醤油につけてみたのですが、半端な marron (茶色) になってしまったのも原因かもしれません。

さて、行き先はというと、ハマの遠足の定番、野毛山動物園。le bébé (赤ちゃん) の頃から何度も行っており、どこに何がいるかも覚えています。l’après-midi (午後) は par groupe (グループごとに) 自由行動ということで、園内の le plan (地図) を事前に渡され、各班で話し合ったのだとか。  
「ライオンはね、引っ越ししたんだよ。前ジャガーがいた所にいるの」
と言うので、
「じゃあ、ジャガーはどこへ行ったの?」と尋ねると、すました顔で、
「逃がしたの」
えっ!?  
un scarabée (カブトムシ) や une mante religieuse (カマキリ) じゃあるまいし。小学一年生の情報収集・分析力なんてこんなもんです。でも、本当はどこへ行ったのか、ちょっと気になりますね。

La machine à laver



La machine à laver est tombée en panne. (洗濯機が壊れました) 
先週末、金曜日の晩に帰宅したら、すでに la machine à laver (洗濯機) が回っていたのですが、ガラガラといつも以上に大きな le bruit (音) を立てており、しかも、途中でぴーぴーとエラー音が出て、止まってしまいました。

la petite fenêtre (小窓) に何やらデジタル表示があるので、la notice (取扱説明書) を見たら、l’alimentation en eau (給水) もしくは l’évacuation d’eau (排水) に問題ありの可能性。でもお腹も空いてるし疲れてるし、少々面倒だったので、どうせ mon mari (ダンナ) が入れ過ぎたんだろうと、あとは l’essorage (脱水) だけだったので、le linge (洗濯物) を半分出してやってみたら、無事に完了しました。
小さな子ども、しかも les garçons (男の子) が2人もいると、日々 le linge との闘いで、週に 3, 4回は la machine à laver を使います。しかも le week-end (週末) は、les vêtements de sport (体操着) や、給食の la blouse blanche (白衣)、la sieste (お昼寝) 用の le drap (シーツ) など、週明けには持たせなければならないものもたくさんあります。その週末は富山の mon père (父) に会いに行くことになっていたので、le lendemain matin (翌日の朝)、もう1回ししておこうと、子ども達を保育園と学童に送って行く前に、la machine à laver のスイッチを入れて家を出ました。
普段なら、家に帰ってくる頃にはちょうど la machine à laver が止まっており、大急ぎで干して出勤するのですが、なんと、またやはり la veille au soir (前の晩) と同じエラー表示。

うちの la machine は、友人一家が海外勤務になった際に譲ってもらったドラム式なのですが、2002年製の物を6年ほどヘビーユースしている訳ですから、そろそろ寿命なのかもと、mon mari と相談し、富山から帰ったらすぐに買いに行くことにしました。

でも、金曜日にガラガラ言っていたのが気になり、家に戻ってから、念のために今まで一度も開けたことのない排水溝を開けてみました。そしたらなんと、数年分のヌルヌルと一緒に、こんなものが!

un crayon (鉛筆) が、見事に縦に割けていました。  
ということは、l’autre moitié (残りの半分) は dans la machine (洗濯機の中)・・・。

le tournevis (ドライバー) を使って裏を開けてみましたが、とても素人が手を出せる様子ではなく、メーカーに電話したら、「技術者を派遣して、開けてみないと分からない。1〜2万円はかかる。壊れてたとしても、古いので部品はもうない」とのこと。
でも、仕方がないので、とりあえず来てもらうことにしましたが、やはりあきらめきれず、その日ちょうどエフィのビルに仕事に来ていた出入りの l’électricien (電気屋さん) に聞いて、家でもう一度裏を開けてみました。

そしたら、ありました!ありました!

給排水の、弁のようなところに、ひっかかっておりました。最初に出てきた la moitié よりも、ささくれて、かなりやつれた様子。

子ども達にも la machine à laver が壊れていたことを話していたので、le crayon を見せて la cause (原因) を説明すると、犯人の長男トマはさすがに神妙な様子で聞いていました。でも、le lendemain、洗濯しようと思ったら、早速トマのズボンの dans la poche (ポケットの中) から、



どこで拾ってきたのか、小指ほどのボルトが1本・・・。
だめだこりゃ、という訳で、予防策として、今後は全ての le linge を des filets (ネット) に入れて洗うことにしました。 不要な出費も抑えることができ、今のところ、平和に洗濯できております。

les devoirs


土曜の夜中に mon mari (ダンナ) と mes fils (息子達) が帰国し、ついに私の les vacances d’été (夏休み) が終了しました。そして小学一年生の長男トマ の les vacances d’été は avant-hier (一昨日) 終了、le décalage horaire (時差ぼけ) を引きずりながらも、hier matin (昨日の朝) から眠い目をこじ開けて l’école (学校) へ行っております。

意外と大雑把な性格?


  les vacances d’été と言えば、les devoirs (宿題)。まだ一年生なので、大したものはありませんでしたが、今までは la lecture à haute voix (音読) やちょっとした les exercices (練習問題) くらいしか出てなかったので、本人にとっては大仕事。le japonais (国語) や l’arithmétique (算数) のプリントは avant le départ (出発前) になるべくやらせたのですが、en France では絵日記2枚くらいしかできておらず、結局、après le retour (帰国後) の le week-end (週末) に一気にやっつける羽目になりました。





les devoirs の中には、小学1年生の classique (定番) 、朝顔の l’observation (観察) もありました。à l’école (学校で) 育てた朝顔を、mi-juillet (7月半ば) に行われた三者面談の際に親が à domicile (家に) 持ち帰り、 les vacances d’été に l’observation をする、というものでした。久しぶりにこの les vacances d’été の代名詞のような朝顔の les fleurs (花) を家で眺められると、楽しみにして l’école に行ったら、息子の植木鉢はすでに tout sec (カラカラ)。des fleurs や des boutons (つぼみ) などもちろん無く、かろうじてついている les feuilles (葉っぱ) も瀕死の状態。

un dessin (絵) と un court texte (短い文) を書く用紙が2枚あったので、le départ の前に1枚、le retour (帰着) 後に1枚書かせようと、家に持ち帰ってからは毎日 l’arrosage (水やり) をさせ、le départ の朝、何とか少々元気を取り戻した葉っぱの un dessin を描かせることができました。でも、le lendemain (次の日) にようやく可愛い花を咲かせてくれたのは、l’arrosage をサボっていた息子への la vengeance (復讐) でしょうか。 

そして息子の留守中に母が l’arrosage はもちろん、de l’engrais (肥料) をやったりとマメにお世話をし、母の留守中は la voisine (お隣さん) がお世話をして下さったおかげで、朝顔はすっかり元気を取り戻しました。

でも、lundi matin (月曜の朝)、2枚目の用紙を書かせようとしたのですが、なかなか上手なつぼみの絵は描けたものの、le texte はどう書いていいのか分からない様子。横で待っていたら日が暮れそうだったので、

「もう一度よ〜く見て、何か気が付いたことを書いてごらん」
とだけ言って、私は le ménage (掃除) を始めました。
しばらくすると、

« Ça y est ! » (できたよ!)


そこには、拙いひらがなで、

「あさがおくん おおきくなってくれて ありがとう。」

なんだか、じ〜んときてしまいました。

les plantes (植物) も les enfants (子ども) も、本来持っているはずの、自分で grandir (大きくなる) 力を、精一杯出せるように少し手助けする。élever (育てる) というのは、そんなことなのかもしれません。

1ヶ月のフランス生活で、一回り大きくなった息子達。私からも、
 « Merci d’avoir grandi.»「おおきくなってくれて ありがとう」

すっかり元気になりました

randonnée


今年の夏は mon mari (ダンナ)と mes fils (息子達) がフランスに里帰りをしており、célibataire (独身) 生活を満喫しております。

そして先日は la randonnée (登山) に挑戦!

生まれて初めての立山登山に行ってきました。ご存知の方も多くなってきたと思いますが、私の生まれ故郷は富山。富山県民はたいがい小学校6年生の夏に立山登山をしているらしいのですが、なぜか私の出た l’école primaire (小学校) ではこの行事が行われず、mes parents (親) に連れて行ってもらうこともなく、いつも横浜市歌を歌えない横浜市民のような肩身の狭い思いをしてました。これでようやく胸を張って富山県人を語れます。

それにしても、趣味は le marathon (マラソン)と la randonnée (登山)という姉に、帰省ついでにと誘われ、 mes fils がいないこの夏がチャンスだと一緒に行くことにしたのですが、普段は平地でも15分歩くと息が上がってしまうような、筋金入りの運動不足。しかも立山は des écoliers (小学生) も行くとは言え、3000 m 級の山々が連なる所。手を使ってよじ登る岩場もあり、頭の中では「ファイトー!いっぱーっつ!」のCMがしょっちゅう流れていました。

体中が pousser des cris (悲鳴を上げる) ような3日間でしたが、お天気にも恵まれ、les voitures (車) の音からも、le portable (携帯) の電波からも離れた、普段とは全く違う les paysages (景色) の中で、高山植物はもちろん、雷鳥のつがいや満天の星空も見ることができ、心も体もすっかりリフレッシュすることができました。


岩の間から健気に咲くちんぐるま

そして今回感じたのは、la randonnée と語学学習はとても似ているということ。
山では、いつも足元を見て一歩一歩 des pas (歩み) を進めて行かなければなりません。そして時々ふっと頭を上げると、さっきまで見えていなかった le sommet (山頂) が見えたり、逆に下の les paysages がパノラマのように見えたり、そして下りた時に「ああ、あんな所まで行ったのだ!」とようやく客観的に達成感を得られたりします。

語学学習においても、それは同じこと。コツコツと単語やら表現やら文法事項やらを1つ1つ覚えて、時々ふっと頭を上げてみたら別の景色が見えて、そして、やっと le sommet に辿り着いたと思ったら、また後ろにもっとすごい山が聳えていて愕然とするなんてことも。
でも、道中は辛くても、楽しいから続ける。それも le point commun (共通点) かもしれませんね。


コツコツと一歩ずつ。そんなことを最近はずいぶんサボっているなと、少々反省。これを機に体も頭も鍛えようと気持ちを新たにさせられました。でも、もう少し、涼しくなってから・・・。
山頂にある雄山神社


お祓いをしてもらえ、なんとお神酒も。



横浜は猛暑ですが、立山にはまだ雪がたくさん残っています






下山途中のみくりが池に映る雄山
姉は剣岳にも登頂。私は下の山荘でお留守番

高山に茂るハイマツの、松ぼっくりの赤ちゃん

岩の間を雪解け水が流れ

うちの実家の側に来る頃にはこんなに大きな黒部川に











dent de lait


先日、長男トマの une dent de lait (乳歯) が初めて抜けました。数週間前からグラグラしていたのですがなかなか抜けず、ついに「お母さん抜いて〜」とお願いしに来たので、あまり気が進まなかったのですが、ぐいっと抜いてやりました。
「メリッ」というか、「バリッ」というか、la gencive (歯茎) から une dent de lait が離れる le dernier moment (最後の瞬間) の、あの独特の感覚。 もう30年以上経っているのに、la langue (舌) で何度もこっち側とあっち側にぐいぐい押したり、固いものを食べているうちに抜けてしまったりしたことや、la bouche (口) の中にじんわり広がる du sang (血) の味さえも蘇ってきました。

私が小さい頃は、下の歯が抜けると sur le toit (屋根の上) に投げ、上の歯が抜けると裏庭の une petite rivière (小さな川) に流して、丈夫な歯が生えてきますようにとお願いしたものですが、上の歯は軒下に投げるのが一般的だそうですね。なぜ我が家では une petite rivière だったのでしょうか。小さい頃住んでいた家の軒下が、物を投げ込むことが難しい構造になっていたのかもしれませんが、うちの地域の le coutume (習慣) なのかもしれません。

高層マンションに住んでいる子どもの下の歯はどうするのだろうと心配になって調べてみたら、今では抜けた les dents de lait を保存するケースがあるようです。簡単なプラスチック製のものから、キャラクターもの、桐製の高級品まで出ており、少子化社会ならではのマーケットだなと、感心してしまいました。le cordon ombilical (へその緒) に始まり、les cheveux (髪の毛) だの、les empreintes des pieds (足形) だの、子どもがらみのいわゆる「記念モノ」は、取っておこうと思うとキリがなく、la crèche (保育園) や l’école (学校) から持ち帰る「作品」の数々もアッという間に夥しい数になっており、ただでさえ狭い居住空間がどんどん侵略されるのが悩みのタネです。  

ちなみにフランスでは des dents de lait が抜けると、l’oreiller (枕) の下に置いておきます。すると夜中に une petite souris (小さなネズミ) がやってきて、une petite pièce (コイン) と交換していくのです。長男の la première dent de lait を一緒に屋根に投げようと楽しみにしていたのに、フランスに持って行くそうで、大事にしまってしまいました。しかも、なぜか、高崎名物ダルマ弁当の容器に入れて、周りをぴったり du scotch (セロハンテープ) で留めてしまい、振るとカラカラと乾いた音がしています。こうやってだんだん大きくなり、離れていくのだな、と、少々切ない音です。


そして、そのダルマを大事に son sac à dos (リュックサック) に入れて、今日 papa と son petit frère (弟) と一緒に en France (フランスに) 旅立ってしまいました。数年ぶりに1人でのんびり過ごす夏となり、嬉しい反面、心の中では、カラカラと少し寂しい音がしています。
お気に入りのダルマ弁当

中身は何?「は」です。

patriotisme


横浜市民は、le patriotisme (愛国心) ならぬ「愛浜心」が強いとよく言われますが、その la preuve (証拠) の1つに、横浜出身の人は、必ずと言っていいほど「横浜市歌」を歌うことができます。この歌はなんと、あの森鴎外が森林太郎の名で作詞しており、1909年、明治42年に作られてから un siècle (1世紀) 以上も歌い継がれている名曲です。「♫我が日の本は島國よ〜」と勇ましく始まり、途中で物悲しく転調して、小さな浜辺の村だった昔の横浜の風景に触れ、また元気よく今の発展した港町横浜を讃えるというものなのですが、なかなか味わい深い良い歌で、私も好きです。
では、なぜ、横浜出身者がほぼ全員歌えるのか。それは、l’école primaire (小学校) で歌い込まされるからなのです。
うちの長男は l’école primaire に入ってまだ間もないですが、どうやら校歌よりも、君が代よりもよく指導があるようで、もうすっかり覚えてしまい、家でもよく口ずさんでおります。でも、レゴやプラレールなんぞやりながら、美しいボーイソプラノで「♪あ〜らゆるくによりふ〜ねこそか〜よえ〜♫」と歌っていると、もっと子どもっぽい歌はないものかと苦笑してしまいます。なにしろ明治の文豪の詞ですから、美しい日本語なのですが、高学年でも意味は難しいかもしれませんね。

横浜生まれ横浜育ちの生粋のハマッ子に言わせると、横浜は3日住めばハマッ子になれるけど、横浜市歌を歌えないと本当のハマッ子とは認めない、とのこと。そういえば、トマの la cérémonie d’entrée (入学式) の時には、les parents (保護者) 席からも大きな歌声がしました。私も「富山県民の歌」は l’école で習ったこともなく、うろ覚えでちゃんとは歌えませんが、横浜市歌は歌えます。ハマッ子と認めてもらえるでしょうか。
l’équipe de France de football (サッカーフランス代表) の中には les immigrés (移民) が多く、la Marseillaise (ラ・マルセイエーズ;フランス国歌) を歌える選手がほとんどいないと一時期問題になりましたが、もしかしたら横浜市歌を歌えないと、横浜市代表にはなれない、なんてこともあるのかもしれませんね。 
ちなみに私が通勤に利用している le métro municipal (横浜市営地下鉄) では、駅の構内で朝夕に横浜市歌が流れています。先日、3歳の次男ルカを連れて、chez le docteur (お医者さん) へ行くために le métro に乗った時のこと。「あ!この歌だ!」と目を輝かせ、「♫こ〜のよ〜こはまに〜ま〜さる〜あら〜めや〜」と歌い出しました。son grand frère (兄) が家で歌うのを聞いて、覚えてしまったようです。我が家の息子2人は、もう立派なハマッ子です。

la guêpe


長男トマが l’école primaire (小学校) に通い出してもうすぐ2ヶ月になります。実は私が le poignet gauche (左手首) に la fêlure (ひび) を入れてしまった trois semaines plus tard (3週間後)、今度はトマが un toboggan (滑り台) から落ちてやはり le bras gauche (左腕) を派手に骨折してしまいました。もうずいぶんよくなり、2人で仲良く la rééducation (リハビリ) の体操をしています。

ようやく少し l’école にも慣れた頃だったので可哀想でしたが、給食の時に周りの子達が son pack de lait (牛乳パック) を代わりに開けてくれたりして、des copains (友達) も増えたようなので、悪いことだけでもないようです。あともうしばらく le sport (体育) は見学ですが、思い切り la cour (校庭) を走り回れる日が親子共々待ち遠しいです。
そんなこんなで、母としても l’école での様子が気になり、今月半ばに、授業参観週間といって保護者が自由に les cours (授業) を見学できる1週間があったので、エフィがお休みの lundi (月曜日) に行ってみることにしました。国語の授業に合わせて行ったのですが、なんと、その日は l’entrainement de secours (避難訓練) があるとのことで、早々に授業を切り上げて、la maîtresse (先生) が説明を始めました。

「今日の避難訓練は、スズメバチが入って来た時の訓練です。」

la guêpe (スズメバチ) ? エラい maniaque (マニアック) な訓練をするもんだと思いながら聞いていたら、どうやら la guêpe とは、un individu suspect (不審者) のこと。「ふしんしゃ」という言葉がまだ子ども達には難しいからか、校内放送を流す際に当の不審者にも聞こえてしまうからか、それともまだ不審かどうか判断出来ない時点で「不審者」という言葉を使う訳にいかないからか、などと考えているうちに、「今、スズメバチが6年2組に侵入しました」というアナウンスが聞こえてきました。
ビビリやの不審者なら、本当に une guêpe が入って来たのかと思って逃げてしまうかもしれませんね。そんな効果もあるのでしょうか。la maîtresse が内側からカギをかけて、少々緊張感の漂うクラスで「イマドキの避難訓練ですね」と、思わず居合わせたお母さんと話していると、今度は「スズメバチを捕獲しました」というアナウンス。子ども達と一緒に講堂に避難し、校長先生のお話や、実際に以前勤務されていた l’école で不審者に侵入された経験のある先生の話を聞いてきました。
それにしても、私が生まれ育った富山にはほとんど le tremblement de terre (地震) もないので、子どもの頃にやった l’entrainement de secours といえば、en cas d’incendie (火事の場合) のみ。防災頭巾すら被ったことがありません。
la guêpe 対策の l’entrainement をやって下さることに感謝をしつつも、そんなことをしなくても良い安全な世の中で、子ども達にはのびのび育って欲しいものだと切に願った朝でした。 

fêlure


早いもので、長男トマはこの4月で小学1年生になりました。vendredi dernier (先週の金曜日) が la cérémonie d’entrée (入学式) だったのですが、なんと、la veille (前日) に la crèche (保育園) の園庭ですってんころりん転倒し、au poignet gauche (左手首に) ひびが入ってしまいました。la cérémonie d’entrée には着物で行こうと張り切っていたのに、le pyjama (パジャマ) さえも着脱が困難な状況で、泣く泣く地味な un tailleur (スーツ) で行きました。
でも、滑って転んで手をついたくらいで une fêlure (ひび) が入るなんて、もう l’os (骨) がスカスカになってしまっているのかもしれません。trop tard (手遅れ) だとは思いつつ、毎日 du lait (牛乳) や du yaourt (ヨーグルト) をせっせと摂って、calcium (カルシウム) 強化に努めております。
先月の末には次男のルカが au parc (公園で) 転んで、目の脇を2針縫う怪我をしたばかり。ここのところ、私の身の回りにはロクなことが起こらず、「お祓いでもしてもらったほうがいいんじゃないの?」と言われてしまってます。私の暮らしぶりがあまりにオッサンみたいなので、男性の厄年がまわってきたのかもしれません。

それにしても、片手が使えないというのは非常に不便です。まだ la main droite (右手) ではなかったのが幸いですが、dans la vie de tous les jours (日常生活の中で) 何気なくやっていることが、ことごとくできないのです。ちなみに、このブログも片手で打っているので les fautes de frappe (打ちミス) 連発、trois fois plus de temps (3倍の時間) がかかります。しばらくは le maquillage (化粧) がまだらでも、les cheveux (髪の毛) がはねていても、見て見ぬフリをして頂けるとありがたく存じます。

また、大変 dangereux (危険) ですが、la crèche の送り迎えに必要なので、la voiture (車) も右手一本で le volant (ハンドル) をぐわんぐわん回して運転しております。la voiture automatique (オートマ車) で、しかも le freine à main (サイドブレーキ) が足で踏むタイプなので助かりました。

数日前、après le bain (お風呂上がり) に何気なく la cuisine (キッチン) の野菜かごを覗くと、ポンカンが1個入っていました。 喉も乾いていたし、無理だと思うと余計に食べたいものです。 はっさくや夏みかんなら un couteau (ナイフ) が要るので潔く諦めるところですが、相手はポンカン。
なんとかなるかも、と le pouce (親指) を指してみたはいいけれど、どうにもならず、ふとみると足元に子ども用の踏み台が。座ってみると les genoux (膝) がちょうど良い案配に突き出て、そこにポンカンを挟んで剥き、無事に食べることができました。le pyjama の les genoux の部分は黄色くなってしまったけれど、なんとも言えない充実感でした。

怪我をしたおかげで得た un petit bonheur (ささやかな幸せ) ?いいえ、早く両手を使って思う存分好きなものを食べたいです。みなさん、雨上がりの道にはご注意を!
整形外科のレントゲン室にあったカゴ
拡大図

croque-mitaine


すっかりご無沙汰してしまいました。早いもので la mort de ma mère (母の死) からもうすぐ2ヶ月半が経ちます。あんまり悲しみに暮れるヒマもないくらい、子ども達とエフィの狭間で過ごす日常は慌ただしく、特に ce printemps (今春) は6歳になる le fils aîné (長男) の卒園と入学というビッグイベントがあったりして、いつも以上にバタバタと暮らしております。
カオナシ
さて、les parents (親) が忙しい時に限って les enfants (子ども) は言うことを聞かないものですが、そんな時には第三の権力(?)に頼るご家庭も多いかと思います。
私の友人・知人達の中には、le portable (携帯) になまはげや天狗、 le voyage de Chihiro「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」の l’image (画像) を télécharger (ダウンロード) して、印籠代わりにしているのもいますし、今では「鬼から電話がかかってくる」という子育て用 une appli (アプリ;une application の略) もあるそうです。

フランスにももちろん、言うことを聞かない子どもをビビらせる存在がいます。その名は le croque-mitaine。 croquer は「カリカリ噛む、かじる」と言う意味の動詞、mitaine は手袋のことで、妖怪や鬼の類いとは何の関係もなく、少し調べてみたのですが、何故そんな名前で呼ばれているのかは un mystère (謎) です。 

 我が家では、長男トマは天狗さんのお力を借りて育てましたが、3歳になる次男のルカは、母の帰りが遅い日が多く papa に育てられているということもあり、最近この le croque-mitaine が登場することがしばしば。« Je vais appeler le croque-mitaine ! » ( le croque-mitaine を呼ぶぞ!) の一言で、あら不思議、何でも言うことを聞いてくれるので助かってます。
croque-mitaine

ところが先日の le dîner (夕食) の時のこと。トマが、大好きな les petites tomates (プチトマト) を最後に食べようとお皿に取っておいたところ、ちょっとよそ見をした隙に、どうやらルカが横から食べてしまった様子。
トマが « Papa, où sont mes tomates ? » (パパ、ボクのトマトはどこ?) と半泣きで聞くので、ルカの顔を見ると、涼しい顔をして « C’est pas moi. C’est le croque-mitaine ! » (ボクじゃないよ。le croque-mitaine だよ!) 

我が家の次男、だんだん賢くなっております・・・。

cerf-volant



Aujourd’hui, maman est morte. (今日ママが死んだ) 
で始まるのは Albert Camus の l’Étranger (異邦人) ですが、今年の blog もこれで始めなくてはならなくなりました。
母が、今月10日に亡くなりました。長い間教室を留守にし、またこの blog の更新も遅れてしまい、ご迷惑をお掛けしました。
l’année dernière (去年) から  le cancer de l’estomac (胃ガン) で闘病中でしたが、お医者さんからは特に l’espérance de vie (余命) の話は聞いていなかったので、我々家族はまさかこんなに早く逝ってしまうとは思っておらず、母も、やり残したことなどあったでしょうから、非常に残念ですが、こればかりは仕方がありません。

母はかなりのお世話好きで、bavarde (おしゃべり) だけど口は堅かったので、たくさんの人の une confidente (相談相手) になっていたようです。「親に言えないような悩みも聞いてもらっていたのに・・・」と泣き崩れる人もいました。
でも、私にとっては親なので、当然「親に言えないようなこと」は相談していませんし、le lycée (高校) 卒業後すぐに進学のため親元を離れていることもあり、留学や結婚、就職なども自分で勝手に決めてしまっていたので、「事後承諾の娘」と、母には心配を通り越して呆れられていました。
母と娘で le shopping (ショッピング) をしたり、温泉旅行に行ったりなんてことはありえないような、そんな関係で、およそ「親不孝」に服を着せたような娘だったと思います。

実家にはいつも次々お客さんが訪れ、また、les voisins (ご近所さん達) とも親密にお付き合いをしていたので、母はたくさんの人達の la vie quotidienne (日常生活) に入り込んでいたのだと思いますし、娘達が巣立ち、ma grand-mère (祖母) を見送った後はずっと2人暮らしだった mon père (父) にとっては、ぽっかりと大きな un trou (穴) が空いたようなものだと思います。
でも、私が住む横浜には、せいぜい4、5回くらいしか来たことがなく、母がいなくなっても、ma vie quotidienne には何の変化もありません。どこで何をしていても、自分の周りには母の la trace (痕跡) がない。
そのことが、なんとも言えず、寂しいです。
調子に乗って勢いよく高いところまで揚がっていた le cerf-volant (凧) の、糸がぷつっと切れたような、そんな感じでしょうか。糸に繋がれていたことも、忘れていました。

去年は色々なことが重なり、私自身、心身共に余裕がなく、胃を全摘する l’opération (手術) の時にさえも、側にいることができず、その後も頻繁に帰ることはできませんでした。できなかったのではなく、しなかったのだけなのですが。

そこまでして守ってきたものは何なんだろう?
悲しさやよりも、虚無感を感じてしまいます。

でも。
父を見ていると、母がいなくなって、「困る」のかと思えば、「寂しい」が先に立つ様子。
家のこと一切を任せていたため、母がいないと自分の身の回りのことも困るはずなのに、そんなことよりも、「寂しい」。

社会人として、職業人として「君がいないと困る」と言われるのは誇らしく、価値が高いことだけれども、1人の人間としては、「君がいないと寂しい」と言われるほうが嬉しい。
震災の後、自分のやっていることが社会で何の役にも立っていない気がして、悩んでいたことがありましたが、1ヶ月の休校を経てレッスンを再開した後、「エフィのレッスンがなくて寂しかった」と言って下さる方に励まされました。
なくなっても困る訳ではないけど、寂しいもの。そんな存在も人には必要なのかもしれません。だから、エフィが多くの人の「なくなったら寂しいもの」になれたら、母も喜んでくれるかも知れない。そう思って、これからもエフィを守っていきたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

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