fêlure


早いもので、長男トマはこの4月で小学1年生になりました。vendredi dernier (先週の金曜日) が la cérémonie d’entrée (入学式) だったのですが、なんと、la veille (前日) に la crèche (保育園) の園庭ですってんころりん転倒し、au poignet gauche (左手首に) ひびが入ってしまいました。la cérémonie d’entrée には着物で行こうと張り切っていたのに、le pyjama (パジャマ) さえも着脱が困難な状況で、泣く泣く地味な un tailleur (スーツ) で行きました。
でも、滑って転んで手をついたくらいで une fêlure (ひび) が入るなんて、もう l’os (骨) がスカスカになってしまっているのかもしれません。trop tard (手遅れ) だとは思いつつ、毎日 du lait (牛乳) や du yaourt (ヨーグルト) をせっせと摂って、calcium (カルシウム) 強化に努めております。
先月の末には次男のルカが au parc (公園で) 転んで、目の脇を2針縫う怪我をしたばかり。ここのところ、私の身の回りにはロクなことが起こらず、「お祓いでもしてもらったほうがいいんじゃないの?」と言われてしまってます。私の暮らしぶりがあまりにオッサンみたいなので、男性の厄年がまわってきたのかもしれません。

それにしても、片手が使えないというのは非常に不便です。まだ la main droite (右手) ではなかったのが幸いですが、dans la vie de tous les jours (日常生活の中で) 何気なくやっていることが、ことごとくできないのです。ちなみに、このブログも片手で打っているので les fautes de frappe (打ちミス) 連発、trois fois plus de temps (3倍の時間) がかかります。しばらくは le maquillage (化粧) がまだらでも、les cheveux (髪の毛) がはねていても、見て見ぬフリをして頂けるとありがたく存じます。

また、大変 dangereux (危険) ですが、la crèche の送り迎えに必要なので、la voiture (車) も右手一本で le volant (ハンドル) をぐわんぐわん回して運転しております。la voiture automatique (オートマ車) で、しかも le freine à main (サイドブレーキ) が足で踏むタイプなので助かりました。

数日前、après le bain (お風呂上がり) に何気なく la cuisine (キッチン) の野菜かごを覗くと、ポンカンが1個入っていました。 喉も乾いていたし、無理だと思うと余計に食べたいものです。 はっさくや夏みかんなら un couteau (ナイフ) が要るので潔く諦めるところですが、相手はポンカン。
なんとかなるかも、と le pouce (親指) を指してみたはいいけれど、どうにもならず、ふとみると足元に子ども用の踏み台が。座ってみると les genoux (膝) がちょうど良い案配に突き出て、そこにポンカンを挟んで剥き、無事に食べることができました。le pyjama の les genoux の部分は黄色くなってしまったけれど、なんとも言えない充実感でした。

怪我をしたおかげで得た un petit bonheur (ささやかな幸せ) ?いいえ、早く両手を使って思う存分好きなものを食べたいです。みなさん、雨上がりの道にはご注意を!
整形外科のレントゲン室にあったカゴ
拡大図

croque-mitaine


すっかりご無沙汰してしまいました。早いもので la mort de ma mère (母の死) からもうすぐ2ヶ月半が経ちます。あんまり悲しみに暮れるヒマもないくらい、子ども達とエフィの狭間で過ごす日常は慌ただしく、特に ce printemps (今春) は6歳になる le fils aîné (長男) の卒園と入学というビッグイベントがあったりして、いつも以上にバタバタと暮らしております。
カオナシ
さて、les parents (親) が忙しい時に限って les enfants (子ども) は言うことを聞かないものですが、そんな時には第三の権力(?)に頼るご家庭も多いかと思います。
私の友人・知人達の中には、le portable (携帯) になまはげや天狗、 le voyage de Chihiro「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」の l’image (画像) を télécharger (ダウンロード) して、印籠代わりにしているのもいますし、今では「鬼から電話がかかってくる」という子育て用 une appli (アプリ;une application の略) もあるそうです。

フランスにももちろん、言うことを聞かない子どもをビビらせる存在がいます。その名は le croque-mitaine。 croquer は「カリカリ噛む、かじる」と言う意味の動詞、mitaine は手袋のことで、妖怪や鬼の類いとは何の関係もなく、少し調べてみたのですが、何故そんな名前で呼ばれているのかは un mystère (謎) です。 

 我が家では、長男トマは天狗さんのお力を借りて育てましたが、3歳になる次男のルカは、母の帰りが遅い日が多く papa に育てられているということもあり、最近この le croque-mitaine が登場することがしばしば。« Je vais appeler le croque-mitaine ! » ( le croque-mitaine を呼ぶぞ!) の一言で、あら不思議、何でも言うことを聞いてくれるので助かってます。
croque-mitaine

ところが先日の le dîner (夕食) の時のこと。トマが、大好きな les petites tomates (プチトマト) を最後に食べようとお皿に取っておいたところ、ちょっとよそ見をした隙に、どうやらルカが横から食べてしまった様子。
トマが « Papa, où sont mes tomates ? » (パパ、ボクのトマトはどこ?) と半泣きで聞くので、ルカの顔を見ると、涼しい顔をして « C’est pas moi. C’est le croque-mitaine ! » (ボクじゃないよ。le croque-mitaine だよ!) 

我が家の次男、だんだん賢くなっております・・・。

cerf-volant



Aujourd’hui, maman est morte. (今日ママが死んだ) 
で始まるのは Albert Camus の l’Étranger (異邦人) ですが、今年の blog もこれで始めなくてはならなくなりました。
母が、今月10日に亡くなりました。長い間教室を留守にし、またこの blog の更新も遅れてしまい、ご迷惑をお掛けしました。
l’année dernière (去年) から  le cancer de l’estomac (胃ガン) で闘病中でしたが、お医者さんからは特に l’espérance de vie (余命) の話は聞いていなかったので、我々家族はまさかこんなに早く逝ってしまうとは思っておらず、母も、やり残したことなどあったでしょうから、非常に残念ですが、こればかりは仕方がありません。

母はかなりのお世話好きで、bavarde (おしゃべり) だけど口は堅かったので、たくさんの人の une confidente (相談相手) になっていたようです。「親に言えないような悩みも聞いてもらっていたのに・・・」と泣き崩れる人もいました。
でも、私にとっては親なので、当然「親に言えないようなこと」は相談していませんし、le lycée (高校) 卒業後すぐに進学のため親元を離れていることもあり、留学や結婚、就職なども自分で勝手に決めてしまっていたので、「事後承諾の娘」と、母には心配を通り越して呆れられていました。
母と娘で le shopping (ショッピング) をしたり、温泉旅行に行ったりなんてことはありえないような、そんな関係で、およそ「親不孝」に服を着せたような娘だったと思います。

実家にはいつも次々お客さんが訪れ、また、les voisins (ご近所さん達) とも親密にお付き合いをしていたので、母はたくさんの人達の la vie quotidienne (日常生活) に入り込んでいたのだと思いますし、娘達が巣立ち、ma grand-mère (祖母) を見送った後はずっと2人暮らしだった mon père (父) にとっては、ぽっかりと大きな un trou (穴) が空いたようなものだと思います。
でも、私が住む横浜には、せいぜい4、5回くらいしか来たことがなく、母がいなくなっても、ma vie quotidienne には何の変化もありません。どこで何をしていても、自分の周りには母の la trace (痕跡) がない。
そのことが、なんとも言えず、寂しいです。
調子に乗って勢いよく高いところまで揚がっていた le cerf-volant (凧) の、糸がぷつっと切れたような、そんな感じでしょうか。糸に繋がれていたことも、忘れていました。

去年は色々なことが重なり、私自身、心身共に余裕がなく、胃を全摘する l’opération (手術) の時にさえも、側にいることができず、その後も頻繁に帰ることはできませんでした。できなかったのではなく、しなかったのだけなのですが。

そこまでして守ってきたものは何なんだろう?
悲しさやよりも、虚無感を感じてしまいます。

でも。
父を見ていると、母がいなくなって、「困る」のかと思えば、「寂しい」が先に立つ様子。
家のこと一切を任せていたため、母がいないと自分の身の回りのことも困るはずなのに、そんなことよりも、「寂しい」。

社会人として、職業人として「君がいないと困る」と言われるのは誇らしく、価値が高いことだけれども、1人の人間としては、「君がいないと寂しい」と言われるほうが嬉しい。
震災の後、自分のやっていることが社会で何の役にも立っていない気がして、悩んでいたことがありましたが、1ヶ月の休校を経てレッスンを再開した後、「エフィのレッスンがなくて寂しかった」と言って下さる方に励まされました。
なくなっても困る訳ではないけど、寂しいもの。そんな存在も人には必要なのかもしれません。だから、エフィが多くの人の「なくなったら寂しいもの」になれたら、母も喜んでくれるかも知れない。そう思って、これからもエフィを守っていきたいと思います。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

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