communication

遅ればせながら、
Je vous souhaite une bonne et heureuse année 2018 ! 
(2018年が皆様にとって良い年でありますように)

さて、仕事柄なのか、la communication (コミュニケーション) の大切さ、難しさについて考えることが多いです。

une île inhabitée (無人島) にたった一人で暮らす訳でない限り、生きていく上で indispensable (必要不可欠) なのことではないでしょうか。

どんなに腕のいい un médecin (医者) でも、les patients (患者) や les infirmières (看護師) との la communication がうまくできなければ、良い médecin とは言えないと思います。

また、もちろん分野にもよりますが、世の中で高く評価されるのは、きちんと挨拶ができるとか、誰にでも気持ちの良い話し方ができる、そして「ホウレンソウ:報告・連絡・相談」がきちんとできる、communication 能力が高い人だと、人事関係の仕事をしている友人が言っていました。特に組織の中ではそうでしょう。

la communication というのは、communiquer:伝える、知らせる、共にさせる、通じる、といった意味の動詞の名詞形です。les sentiments (感情) や les informations (情報) を伝える l’outil (道具) は、やはり la langue (言語) , les mots (言葉)ですね。

でも、同じことを言っても、その la manière de dire (言い方) ひとつで、相手を喜ばせたり、不愉快にさせたりするもの。 

年末年始に la ville natale (生まれ故郷) に里帰りをされ、une fête des anciens camarades de classe (同級会) で懐かしい再会を楽しまれたという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
気心の知れた les camarades (仲間) とのおしゃべりは大変楽しいものですが、本人は近況報告のつもりが、聞く方には une vantardise (自慢話) や une plainte (愚痴) に聞こえてしまうこと、また、そうならないように気を遣って疲れてしまうこともあるかもしれませんね。

また、子どもの頃に、お正月の親族が集まる席で大人達に何気なく言われた一言で、深い傷を負ってしまった、という経験も聞いたことがあります。自分が大人になった今、気をつけないといけないな、と思います。
フランス語にも、「からかう」意味の taquiner という動詞があります。悪意はなく、親しみを込めてからかうことなのですが、これも、場合によっては人を不愉快にさせたり、傷つけたりしてしまうものでしょう。

また、逆に、同じことを言われても、自分の la condition physique et morale (心身の状態) 次第で、受け止め方が全然違うとも言えるかと思います。

人と人との une bonne relation (良い関係) を築く une clé (カギ) となり、と同時に壊してしまう危険もある、この la communication. 

自分が発信する時には、受け止められ方に気をつけて、今一度、les mots, les paroles (言葉) の持つ力、大切さについて考えないといけないと、言語を扱う仕事をするものとして、そしてこの社会に生きる一人の人間として、考えた新年の始まりでした。そして、自分は何でも素直に受け止められるよう、なるべくいつも良い la condition physique et morale でいたいなとも思います。


今年も皆様が良い communication をされますように。
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