Yukki YOYO

エフィを開く前、日仏学院で講師をしている頃、担当していたクラスに Yukki という un lycéen (高校生) が入ってきました。 le yo-yo (ヨーヨー) をやっていて、le lycée (高校) を卒業したら、フランスの l’école de cirque (サーカス学校) に行きたいとのこと。

日本ではすでに le champion (チャンピオン) で、les États-Unis (アメリカ) で行われた le yo-yo の le championnat (選手権) では準優勝したのだと、少しはにかみながら、でもキラキラした目で話してくれました。当時の私は l’école de cirque の存在も、le yo-yo に le championnat mondial (世界選手権) があることももちろん知らず、驚くと同時に、この少年の le rêve (夢) を叶える手助けをしたいと心から思いました。 

元々、大道芸の類いを見るのは好きでしたし、フランスの l’université (大学)では option libre (自由選択科目) として le jonglage (ジャグリング;お手玉のようなもの) の授業を受け、結構まじめに練習して実技試験をクリアし、無事に U.V. (単位;unité de valeur の略) を取ったこともあったので、横浜の下町、野毛で毎年行われる「野毛大道芸」に彼が出演すると聞いて、見に行ったりもしました。まだ lycéen とは思えない、大勢のお客さんの前で堂々とパフォーマンスを行うその姿に、大変感激したものです。 

そして、確か un an plus tard (1年後)、彼は晴れて l’école de cirque に合格し、フランスに旅立ちました。 le métro (地下鉄) の駅などで見かけたことがある方も多いかと思いますが、フランスでは大道芸がかなり盛んで、ちょっとした街角や la gare (駅) などに des artistes de la rue (大道芸人) がごろごろいます。l’université の le jonglage のクラスにも、学費は le week-end に道端で稼いでいるという、もしかしたら le professeur (先生) よりも上手なのではないかという「本物」もいました。そんなレベルの高い国で、言葉や文化の壁を乗り越えながら、芸を磨き、彼は成長を続け、l’école de cirque 卒業後はフランスを始めヨーロッパの国々の le cirque (サーカス) や le cabaret (キャバレー) などの舞台で artiste (アーティスト) として活躍するまでになっていました。 

一方、こちらは子どもが生まれ、教室を開き、一時帰国の際の le spectacle (ショー) にもなかなか行けなくなり、しばらくご無沙汰してしまっておりました。ふと、cet été (今年の夏) は帰ってくるのかな、などと思い出していたところに、「仕事で滞在していたドイツで急逝した」との知らせが舞い込んできました。

詳しい事情も分からぬまま、一昨々日の晩、横浜で「偲ぶ会」が催されると聞いて駆けつけた先は、大道芸の街、野毛の小さな une salle de spectacle (劇場)。le yo-yo などの大道芸の仲間達が集まり、思い出などを語ってからそれぞれの le spectacle を披露し、拍手と笑いと涙とが入り交じる、彼とのお別れにふさわしい宴でした。 

ウクレレの弾き語りをした方が、「夢があれば大丈夫」と歌っていました。1年前に結婚したという、着物姿の sa femme (彼の奥さん) の帯には「夢」と書いてありました。「夢 ; le rêve」って、なんだろう?改めて考えました。叶えるためにたくさん努力して、叶ったらそれは「現実 ; la réalité」になる。それはもちろん幸せなことでしょう。でも、もしかしたら、le rêve を見つけて、それを追いかけて夢中でかんばる、その le processus (過程、プロセス) こそが le rêve であり、le bonheur (幸福) なのかもしれません。

 27年という、あまりに短く儚いものだったけれど、夢中になれるものを見つけ、それを追いかけて、まさに「夢の中」を生き続けた彼の人生は、幸せなものであったことを心から願い、le rêve のお裾分けを頂いたことに感謝しつつ、Yukki-YOYO のご冥福を祈ります。

le maillot de bain

毎日蒸し暑いですね。la saison des pluies (梅雨) とは思えない本格的な暑さが続き、すでにげんなりしておりますが、朝起きて、お天気が良いと mes enfants (子ども達) は大喜びです。その理由はズバリ la piscine (プール)。 
la crèche (保育園) には幼児用の比較的大きな la piscine と、乳児用の les carpes (鯉) の養殖にでも使いそうな「たらい」に近い la piscine があり、fin juin (6月末) から mi-septembre (9月半ば) まで、雨の日以外はほぼ毎日 la piscine があります。体力がつくし、あせも予防にもなるので親としては大変ありがたいのですが、ただでさえ le linge (洗濯物) が増える時期に、le maillot de bain (水着)、le bonnet de bain (水泳帽) と la serviette de bain (バスタオル) が毎日それぞれ2人分追加されるのは結構大変です。
夜、家に着いてすぐに洗っても、次の日の朝にはまだ生乾きなので、la serviette はもちろん、le maillot de bain も2枚必要です。l’année dernière (去年) は次男のルカがまだ1歳児の赤ちゃんクラスだったので、la couche (オムツ) だけで入っていたのですが、今年から le maillot de bain デビューすることになり、トマも l'année dernière の le maillot de bain はきつくなったので、先日新しいものを買いに出掛けました。
ほとんどの物がトマのお下がりで、新しい物を買ってもらうことが滅多にないルカは大喜び。大好きな Cars のキャラクターの McQueen が付いた le maillot を手にすると、トマの真似をして la cabine d’essayage (試着室) にいそいそと入っていきました。
「ちょっと、そこ、しめて」と扉を閉めるので、下の隙間から覗いてみると、どかっと座り、le pantalon (ズボン) を履いたまま、その上からよいしょと le maillot de bain を引っ張って履いています。終わったら「どう?みて〜」と得意気に出て来ました。怪しい姿に、笑いをこらえながら「お店の人に『下さいな』してからね」と、なだめすかして脱がせると、 la caisse (レジ) まで自分で持って行き、背伸びしながら「くだしゃいな!」と大声で言って、レジのお姉さんの微笑みをかっておりました。
その晩は、お風呂の後 le pyjama (パジャマ) ではなく、「これはくの!」と、la couche の上から le maillot de bain を履いて眠り、翌日も le pantalon の代わりに le maillot de bain を履いて出掛けました。よっぽど嬉しかったのでしょうね。この時期、街で le maillot de bain を履いた小さな男の子を見かけたら、それは我が家の次男かもしれません。

Minitel


Minitel (ミニテル) が、先月、le 30 juin にそのサービスを終了しました。1980、90年代にフランスに滞在したことのある人なら、« Minitel » と聞くと la nostalgie (懐かしさ) を感じるのではないでしょうか。「まだ使ってたの?」とびっくりされる方もいらっしゃるかと思います。Minitel とは、1970年代に France Télécom (フランス・テレコム;フランスの電話会社) が開発した、電話回線を使って専用端末に des informations (情報) を提供するサービスで、言わば l’internet (インターネット) の草分け的な存在。
le numéro de téléphone (電話番号) の検索、le T.G.V. を始めとする les trains (電車) や l’avion (飛行機) の la réservation (予約) などのサービスの他、la météo (天気予報) や les informations (ニュース)を閲覧できたり、オンラインバンキングやチャットもできる、当時としては世界的にも画期的な通信サービスでした。 専用端末は小さな un écran (画面) に le clavier (キーボード) が付いていて、en noir et blanc (モノクロ) ですが簡単な画像も表示できたのです。しかも、この端末は、昔の黒電話のように、France-Télécom から gratuit (無料) で支給され、壊れたり古くなったりしたら、また新しい物と取り替えてもらえるものでした。
最盛期の1999年には、なんと 26,000 種類ものサービスが存在し、フランスの人口の42%にあたる2500万人がこの Minitel を利用していたというデータがあります。 France Télécom にとっては大成功を納めた事業であり、1990年代後半に Minitel がもたらした売り上げは、毎年約10億ユーロ (約1000億円) とも言われています。
1990年代後半と言えば、Internet が出回り始めた頃。そんな時にこの Minitel はこんなに利益を上げていた訳ですから、他の先進諸国に比べ、フランスでの Internet 普及率はなかなか上がりませんでした。l’ordinateur (パソコン) に比べ、操作も簡単で、端末も solide (丈夫) でしかも gratuit 、その上 ADSL や le fibre optique (光ファイバー) などの高速ネット回線が使えない la zone rurale (農村地帯) でも都市部と同様なサービスが受けられたのですから、この Minitel が根強く支持されていたのもうなずけます。
私が学生時代に下宿していた家にも、もちろん le téléphone (電話) の横に Minitel が鎮座していて、la famille d’accueil (ホストファミリー) 達は日常的によく使っていました。びっくりしたのは、知り合いに un sourd-muet (聾唖) の方がいて、時々やってきて、この家の Minitel を使って彼の la famille (家族) や ses amis (友達) とコミュニケーションをとっていたこと。言ってみれば、画面の大きな un téléphone portable (携帯電話) でメールをするようなものなので、彼にとってはとても pratique (便利) な機械だったのです。ものすごい勢いで le clavier を叩いていたのが非常に impressionnant (印象的) でした。きっと今では l’ordinateur (パソコン) や le téléphone portable のメールを使っているのでしょうね。
révolutionnaire (斬新) と言われたものも、いつかは ordinaire (普通) になり、そして vieux (古く), démodé (時代遅れ) となってしまう。それが世の流れだと思いますし、いろいろな物が開発されるおかげで、便利で豊かな社会になっています。それは充分よく分かっているつもりですが、なんだか、1つの時代が終わったようで、一抹の寂しさも感じたこの Minitel のニュースです。ちょうど、エフィで私の le bras droit (右腕) としてがんばってくれていた Sayuri さんも le 30 juin をもって退職しました。こちらも非常に寂しいニュースですが、この場を借りて、la reconnaissance (感謝の気持ち) を伝えると共に、今後の le bonheur (幸せ) を祈りたいと思います。 Merci et soyez heureuse !!  
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