Aujourd’hui, maman est morte. (今日ママが死んだ)
で始まるのは Albert Camus の l’Étranger (異邦人) ですが、今年の blog もこれで始めなくてはならなくなりました。
母が、今月10日に亡くなりました。長い間教室を留守にし、またこの blog の更新も遅れてしまい、ご迷惑をお掛けしました。
l’année dernière (去年) から le cancer de l’estomac (胃ガン) で闘病中でしたが、お医者さんからは特に l’espérance de vie (余命) の話は聞いていなかったので、我々家族はまさかこんなに早く逝ってしまうとは思っておらず、母も、やり残したことなどあったでしょうから、非常に残念ですが、こればかりは仕方がありません。
母はかなりのお世話好きで、bavarde (おしゃべり) だけど口は堅かったので、たくさんの人の une confidente (相談相手) になっていたようです。「親に言えないような悩みも聞いてもらっていたのに・・・」と泣き崩れる人もいました。
でも、私にとっては親なので、当然「親に言えないようなこと」は相談していませんし、le lycée (高校) 卒業後すぐに進学のため親元を離れていることもあり、留学や結婚、就職なども自分で勝手に決めてしまっていたので、「事後承諾の娘」と、母には心配を通り越して呆れられていました。
母と娘で le shopping (ショッピング) をしたり、温泉旅行に行ったりなんてことはありえないような、そんな関係で、およそ「親不孝」に服を着せたような娘だったと思います。
実家にはいつも次々お客さんが訪れ、また、les voisins (ご近所さん達) とも親密にお付き合いをしていたので、母はたくさんの人達の la vie quotidienne (日常生活) に入り込んでいたのだと思いますし、娘達が巣立ち、ma grand-mère (祖母) を見送った後はずっと2人暮らしだった mon père (父) にとっては、ぽっかりと大きな un trou (穴) が空いたようなものだと思います。
でも、私が住む横浜には、せいぜい4、5回くらいしか来たことがなく、母がいなくなっても、ma vie quotidienne には何の変化もありません。どこで何をしていても、自分の周りには母の la trace (痕跡) がない。
そのことが、なんとも言えず、寂しいです。
調子に乗って勢いよく高いところまで揚がっていた le cerf-volant (凧) の、糸がぷつっと切れたような、そんな感じでしょうか。糸に繋がれていたことも、忘れていました。
去年は色々なことが重なり、私自身、心身共に余裕がなく、胃を全摘する l’opération (手術) の時にさえも、側にいることができず、その後も頻繁に帰ることはできませんでした。できなかったのではなく、しなかったのだけなのですが。
そこまでして守ってきたものは何なんだろう?
悲しさやよりも、虚無感を感じてしまいます。
でも。
父を見ていると、母がいなくなって、「困る」のかと思えば、「寂しい」が先に立つ様子。
家のこと一切を任せていたため、母がいないと自分の身の回りのことも困るはずなのに、そんなことよりも、「寂しい」。
社会人として、職業人として「君がいないと困る」と言われるのは誇らしく、価値が高いことだけれども、1人の人間としては、「君がいないと寂しい」と言われるほうが嬉しい。
震災の後、自分のやっていることが社会で何の役にも立っていない気がして、悩んでいたことがありましたが、1ヶ月の休校を経てレッスンを再開した後、「エフィのレッスンがなくて寂しかった」と言って下さる方に励まされました。
なくなっても困る訳ではないけど、寂しいもの。そんな存在も人には必要なのかもしれません。だから、エフィが多くの人の「なくなったら寂しいもの」になれたら、母も喜んでくれるかも知れない。そう思って、これからもエフィを守っていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い致します。